イントロダクション

 

750(ナナハン)キラー、ポケットロケットなどの異名を持つオートバイ、ヤマハRZ250と350。

1980年の幕開けはRZの時代の幕開けであった。アメリカを中心に2ストロークエンジンの車両は環境汚染の原因になっているとしてやり玉に挙げられていた。そんな時代を背景に、ヤマハ発動機が2ストの有終の美を飾るべく開発、発売されたのである。

姿、形こそは普通のオートバイだが、RZの発表されたモーターショーでは黒山の人だかり、販売店では半年のバックオーダーを抱えたところもあるという。

カラーはパールホワイトに紺ライン、赤ロゴのタイプの250と、純白に青と水色のラインが入れられたモデル(写真のもの)はゴロワーズカラーと呼ばれ大変人気があった。

そのほかにも黒に金ライン(当時のヤマハはミッドナイトスペシャルと称して黒金のカラーリングのマシンが多かった)や、販売店の限定カラーの赤、青等バリエーションは豊富だった。

メッキされたマフラーの全盛期に漆黒のマフラー、まだまだ空冷のエンジンが主流だったのに対してブラックアウトされたエンジン、キャストホイールにディスクブレーキという装備にファンは狂喜乱舞した。

250はニイハンとかニーゴーと呼ばれ、350はサンパン、サンゴーと呼ばれた。峠では大排気量車を追い回し、サーキットでもRZ旋風が吹き荒れた。

レーサーレプリカブームの火付け役と呼ばれるゆえんは、当時のレーシングマシンTZのレプリカと称されたからである。

輸出仕様車はRZのベースモデルRDの名前を踏襲され、LC(LIQUID COOLED、すなわち水冷)のサブネームも与えられた。ちなみに、RZのZは水冷という意味であるらしい。

エンジンのパフォーマンスでは現代のレベルでは非力感は否めないが、80年当時としてはクラス随一のハイパフォーマンス車であった。

よくピーキーであると言われるRZのエンジンだが、パワーバンドに入ったときの排気音と加速感は多くのライダーを魅了した。

同時に多くの若者がその禁断の実に魅せられて命を散らしていったのも忘れてはならない。

姉妹車として50cc、125cc、500ccも存在したが、RZ50にいたっては”時速100キロ出る原付”としてマスコミに叩かれ、これをきっかけに50ccのスポーツバイクにリミッターが装着されるようになった。

また、原付のヘルメット装着義務が課せられるようになったのもこの時代である。

85年にTZRが登場し、第一線は退くことになるが、RZ-Rとして進化し、ロングセラーを記録した。

のちにR1-ZというRZテイストを盛り込んだオートバイが登場するが、当初「RZ-1」という名前を与えようとしたところ、日産自動車の車種「RZ-1」と同一のため、車名変更を余儀なくされたことはあまり知られていない。

現在、新車で購入できる125cc超の2ストロークスポーツバイクは国内ではない。(デッドストックされた車両は除く)
そんななか、排気ガス規制をクリアするために牙を抜かれたRZ50が唯一のRZの末裔である。

RZ250と350は現在も多くのライダーの心をとらえて離さない!

 


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